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AIによって、パソコンがユーザーの手元に戻ってきた(2026年8月)

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AIによって、パソコンがまたユーザーの手元に戻ってきた感じがしている。

「民主化」という言葉が正しいのかは、自信がない。 一部のオタクだけが、パッケージソフトに用意された機能の外側までパソコンを使えていた。 その範囲が、エンジニアではないけれどパソコンをよく使う人にも広がった、という感覚に近い。

うん、これはやはりソフトウェア開発の民主化と言って良いと思う。

昔のパソコン少年が作っていたもの

昔のパソコン少年たちは、手に入れたパソコンで何かを作って遊んでいた。 そこからソフトウェアエンジニアになった人も多い。

もちろん、使える道具と本人の技量によって、作れるものは違った。 CUIで動くものを作る人もいれば、GUIを持つものまで作れる人もいた。 そもそも当時のパソコンは、今ほど仕事や生活に入り込んだ実用品ではなかったので、作ったものが実用的だったかと問うことにも、あまり意味はなかったと思う。

FM TOWNSはマルチメディアパソコンを名乗っていて、音声を録音し、ピッチを変えて遊ぶようなことができた。 それだけでも十分に面白かった。 ただし、作ったものをインターネットで配信し、誰かの日常で使ってもらうような世界ではない。友達と集まって目玉親父の声っぽい!ギャハハ!と騒いでいたのを覚えている。

パソコンで何かを作ることは、パソコンそのものを趣味にしている人や身の回り人々の遊びの範囲内だった。

不便を感じた本人が直せる

今は、多くの人がスマートフォンやパソコンを使って仕事をしている。 動画や音声の配信も、特別な設備を持つ企業だけのものではなくなった。

その結果、パソコンをよく使う人ほど、自分の作業に固有の不便を持っている。 配信中の操作を少し楽にしたい、複数の道具をつなぎたい、毎回繰り返している処理を自動化したい。多くの機能は必要ないので軽く動作させたい、ということを考える人もいる。 既製のソフトウェアには収まりにくいけれど、本人はその不便に何度も煩わされる。

これまでは、その不便を解消するソフトウェアを作るには、プログラミングを覚えるか、作れる人に頼む必要があった。 ところが今は、非エンジニアであっても、AIと相談しながら自分のためのソフトウェアを作り始めている。 実際、配信をする人をはじめ、パソコンをもっと便利に使いたい人たちが、自分の不便を解決する道具を次々と作るようになったという喜びの声がネットに出始めている。

「誰でも安全に何でも開発できるようになった」という話ではない。 何を作るのかを決め、出来上がったものが期待どおりかを確かめるのは、今も使う本人である。 変わったのは、不便を感じた人と、それを直すソフトウェアのあいだにあった距離だ。

2025年11月から続く変化

最近のAIの変化には、何度か明らかな節目があった。 私の感覚では、2025年11月に一段進み、2026年2月にもう一段進んだ。 そして2026年6月ごろから7月にかけて、さらに世代が変わった。

2026年2月には、AIと一人で完結できる開発が現実になり、チーム開発や若手の育ち方をどう考えればよいのかわからなくなった、と書いた。 あの時点でも、要求を整理して実装し、確認するところまで、かなりの範囲をAIと進められるようになっていた。

それから数か月で、AIは指示されたコードを書くばかりではなくなった。 やりたいことに対して構成が大きすぎれば止め、選択肢とその違いを示し、既存の仕組みに合わせた運用まで組み立てる。 少なくとも、プライベートの課題を解決する規模のソフトウェアでは、そこまで任せられる場面が増えた。

関連記事を追加してもらった

このブログにも、内容の近い関連記事を表示したいと思っていた。 記事をベクトル化し、興味が近そうな記事を各記事の末尾に出す機能である。

最初は、pgvectorを使う構成などを考えてGPT-5.6 Solに依頼した。 しかし、記事数は1,000件を少し超える程度しかない。 GPT-5.6 Solは、この規模ならpgvectorは必要なく、まずは別の方法で実装し、重くなってから検討すればよいと提案してきた。

ベクトル化についても、クラウドの埋め込みAPIを使う方法と、手元のマシンでローカルモデルを動かす方法を挙げ、それぞれの利点と欠点を説明してくれた。 実際の記事も調べ、SNSの月次ログや極端に短い記事は内容の近さをうまく判定しにくいため、関連記事の対象から外したほうがよいという提案もあった。

私は提案に同意し、ローカルで動かす埋め込みモデルはリストしてくれていたものからqwen3-embedding:4bで良さそうなのでまずは試したい、という希望や、途中で感じたことをいくつか伝えた。 方針が固まったところで実装を任せ、夕飯のために中座した。

戻ってきたら、完成して動作確認まで終わっていた。

既存の仕組みを壊さずに収まっていた

このブログは、自作のスタティックサイトジェネレーターで作っている。 ジェネレーター自体も一般公開しているため、今回の機能のためだけに大元を変更されていたら新たな作業が発生する。

実装後に確認すると、ジェネレーター側に用意されていたフックポイントを使い、大元には手を入れず、このブログのカスタマイズだけで収めていた。 実行環境やタスクを管理しているmiseにも、関連記事を生成、検証するためのタスクが追加されている。 ベクトル化を伴う少し重い処理は通常のサイト生成から分けられ、普段のビルドでは計算済みの結果を読む構成になっていた。

今のところ、作られたコードだけでなく、構築された作業の流れにも不満がない。 依頼どおりに画面へ関連記事が出たこと以上に、規模に合わない技術を退け、既存の設計を調べ、継続して使うときの手順まで揃っていたことに驚いた。

これは、以前なら経験のあるエンジニアが設計を行う種類の作業である。 2026年7月には、それをAIが一通り引き受け、私は提案を聞いて判断する側に回っていた。

パソコンを使うことと作ること

昔のパソコン少年は、パソコンを手に入れると、その中で作れるものを探した。 今は先に、仕事や配信や日々の作業があり、そこで感じた不便からソフトウェアを作り始められる。

この違いは大きい。 作ることが目的だった人だけでなく、パソコンを使って何かをしている人が、必要に迫られた場所から開発へ入れるからだ。

「民主化」という言葉に迷っていたのは、AIがコードを書くことと、誰もがソフトウェアを作れることを同じだと言い切れなかったからだと思う。 しかし、実際に非エンジニアが自分の不便を解決し始め、自分自身も要望と判断を伝えたところから一つの機能を完成させられた。

昔は、録音した声のピッチを変えるだけでも面白かった。 今は、夕飯を食べて戻ってくると、自分のブログを以前より便利にする仕組みが、これからも使い続けられる形で出来上がっている。

2026年7月、パソコンはまた、使う人の手元で作り変えられる道具になった。

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