卒業旅行の日記見つけた

2014/03/03 00:00

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1997年の紙の日記を見つけたので記録しておく。いろいろいい加減なことがあったり、格安航空会社という存在を知らなかったり、思い出ウケる。

19/Aug '97

北京は笑いで満ちている。 成田から3時間トンでたどり着いた場所は、旧共産圏というイメージからかけ離れた場所だった。 Luggage Claim にあった中国銀行で両替をするのを忘れたためにエラい待つはめになった。 両替所は、入国審査の内側と外側で同じところにつながっていて、内側の窓口には男性職員が張り付き、外側の窓口には人がいない。中で必死に働いている女性職員が時々やってきてこなすのだ。外側の窓口には申請書類さえも置いていない。 白タクの兄ちゃんが北京語(かどうかはわからないけど、ここは北京空港なのでたぶんそうだろう)で紙をもらってくれて、さらに国籍などを書いてくれた。もちろん、彼はオレの宿泊ホテルが目当てだった。数十秒後、彼はオレの泊まるホテルの名前を書いた紙とともに現れた。かわいそうだけど、他の金のありそうな日本人を探してくれ…何十ドルも払う余裕は無いんだ。

「by bus!」 ボーゼンとしている彼を置いてエアバスのチケット売り場へ。

「To Peking Station」「Where is your hotel?」「here!」と言ってホテル名を見せる。「Yeh, Peking Station」「???」 そんなことはわかってるんだ、と思ったらチケット売り場の横にあるインフォだった。チケット売り場のお姉ちゃんが英語わかるわけないもんね。

んでもってバス。おんぼろバスである。座れない人が出るくらい混むが、日本人はただ一人。English Speakerも二人。ANAにあれだけ乗っていた人たちはどこに行ったの?

いくつかの停留所をすぎて、駅の近くだろうというところに到着。もし乗り過ごしたら空港に戻ってしまう。近くの若者に聞くしかない。

「Is here Peking station?」…通じない。Peking Stationくらい通じてほしい。用意していたメモに北京粘と書いたら通じだ。うれしそうにうなずく。感じは便利だ。だけど、駅は站であって粘ではなかった?まぁ、樹は心。通じたから良いや。

30℃の中をホテルを探して歩く。30分くらいかかった。

フロント

英語が通じた。が、デポジットを200元出せという。両替した215元のうち、16元をエアバスに使ったから手持ちは199元。両替所で両替しろというが近所にそれっぽい場所が開いていなくてできない。もう一度フロントに戻ったら150元でいいという。初めっからそう言ってよ。この間英語のはなせる人一人とはなせない人二人と問答。ま、明るいお姉ちゃんたちだったからいいか。「ま、いっか」が中国旅行には必要だということがわかった。面倒だし暗くなったので北京は見なくていっか。

1元=14.61円

19:15

暗い。部屋中の明かりにテレビまでつけてるのに暗い。表では行き交う車のヘッドライトばかりか、街頭まで無灯火だ。まるで電気の無駄遣いは悪だと言わんばかり。映画に出てきた昔の北京は西洋の香りが漂ってた気がするんだけどな。

20:15

外に出た。街灯がともりだしたからだ。水を買う。値段がわからずにペンを出すと、あきれて細かいのはいいと追い出される。が、3元以上払った。水は結構高い。北京站を撮影してホテルの部屋に戻る。

北京空港

規模が小さい。だだっ広い国なのにボーディングポートは一本しかないようで、そこら中に大小の飛行機が翼を休めている。入国審査は全て素通り。なんでも持ち込めそうだった。全てのがいい加減。今のところ中国には発展途上国としての感情しかない。さて、ロシアは?そして汽車は?汽車はSecond Classという事実にかけるしかない。

20/Aug '97

23:30 (JST)

で、出られない。ここは国境の街「二連」。同じコンパートメントの三人はさっさとおりた。ビャンバーダルジがお前はここにいろ、というようなジェスチャーをしたからてっきり交代で荷物番をするのかと思ったら。他のコンパートメントにはしっかり鍵がかかってるっぽい。煙草も吸えないし、思いっきり余ってる元の両替もできない。2000円は損をした。モンゴルのお金がないから明日は何も買えないし…

だいたいモンゴル語で何か聞いてくるだなんて。まぁ、彼のおかげで万里の長城の写真も撮れたし、いっか。必要なときにソートンコーがいないってのもね…。9歳にして3カ国語を話す女の子なんだけど、やっぱり子供なんだよね。ま、買い置きがあるしモンゴルの食堂車はドルが使えるらしいからいっか。

北京站

相変わらず英語通じず。インフォメーションさえも。まずは外国人をプラットフォームに先に通す。中国人が無理に通ろうとしたり中の人に荷物を渡そうとすると係員と喧嘩になる。その隙に荷物を渡す人もいる。なんの問題なんだろう?

列車

サービスという言葉を知らない国民のようだ。開かずのトイレがある。乗務員専用?38名の客と乗務員1人が同数のトイレを使用するのか?スモーキングエリアに灰皿が無く、英語表記も無い。

21/Aug '97

12:55

ツォグトバータルとソートンコーは身繕いに余念がない。荷物の整理もほぼ終わってる。もうすぐウランバートルだ。今日は西瓜とプルーンをごちそうになり、カロリーメイトをかわりにあげた。ソートンコーはお気に入りのようだ。4人のコンパートメントがいつの間にか5人になっている。モンゴル語を話すモンゴル人のような顔をした中国人だ。ショーンとかいったかな。感じが通じるので助かる。オレの名前はルーモーチャンと発音するらしい。韓国語読みはどうだったかな?スイカはシーガだとか。

ウランバートルからは何人乗ってくるのか。日本人のバックパッカーが列車に一人欲しいところ。英語も感じも通じない国、ロシアへ向かう。

頼むから、荷物満載の現地人は避けてほしい。

14:30

ウランバートル着。皆降りてしまう。 駅で日本人を見かける。やっぱり乗ってたんだ。なぜか東海道線の話をしている。

新たに乗ってきたのは女性3人。何者だろう。やはり荷物がすごい。

腹が減ったがドンを持っていない。続々と人が乗り込んでくる。女性は気を使うな…。美人ではない。

17:20

暑い。日が直接入ってくる。 彼女たちは大量の服を袋から出している。何者だろう。大量のホコリを運んできていることは間違いない。鼻がグズる。モスクワまで行くのかなぁ…。

19:40

少し暗くなってきた。白夜まではいかないだろうが、少し期待できる。

21:50

ようやくモンゴル最後の駅、スヘバートルについたようだ。次のナウシキでは両替を忘れないようにしなければ。

22/Aug '97

1 USD=118.16 JPY

1 USD=6.730307 RUB (2024/04/21 確認。文中の数字は1000倍になってる?)

00:23

ロシアの入国審査に入る。税関用の紙を渡された。全て漢字。中国人と間違われた。英語バージョンをもらう。

軍人登場だ。パスポートの写真を見て変な顔をする。女性の軍人を呼んできて笑う。確かにあれは変な写真だけどさ…。結局東洋人の顔は白人には見分けられないんだし適当にしてくれればいいのに。

入国審査が一番厳しかったのはモンゴルかな。ヴァンバダルジは箱あけさせられてたし。

01:55

突風とともに暗闇がやってきた。停電。こんな時間に駅でウォッカを飲みながら何かを食べていた人々もいなくなる。雨。列車が揺れている。列車が遅れなければいいけど。

13:20

またもや両替をし損ねたので車掌に銀行のある駅を聞こうとするが、漢字も通じず。近くにいた英語のはなせる中国人に助けを求める。食堂車にいけば両替してくれるらしい。1ドル=5700ルーブルとはいかないらしいが。 食堂車は一番後ろ。ここは5号車だけど一番前。遠い。9号車あたりで声をかけられる。地球の歩き方を持っていたので日本人だとわかったらしい。彼曰く、ナウシキは両替できる状況ではなかったらしい。ではなぜ皆ルーブルを持っているのか不思議だ。今、食堂車のおじさんが来た。今度は同じコンパートメントの英語のできる女性に助けてもらい、無事1ドル=5500ルーブルで20ドル分交換する。助かった。

話は戻って、日本人は北京で列車の切符を買ったそうだ。2万円なり。日本で買う3分の1やんけ。でも、そのせいで北京に2週間いなければならなかったそうだ。北京も2年前と大きく変わったとのこと。車が増え自転車が減った。十分自転車多かった気がするけど…。

とりあえず飢えずにすむ。

同室女性の正体が分かる。大量の荷物は商品であった。駅に着くだびに飛び出していって売りまくっている。一番上のマリーンは英語を少し、その妹はロシア語バリバリ、もう一人の妹はモンゴル語だけだけどはの違うができるw、のトリオだ。他の乗客からも、ビジネス?とはやし立てられている。この後少し話をして夕食をゴチになる。

23/Aug '97

13:00

御飯時。ちょっとごちそうになってから洗顔に逃げる。どうも連チャンでごちそうになるのは気が引ける。戻ると座れと言う。座ったとたん駅に着く。皆の目つきがかわる。ビジネス?Yah!、飛び出ていく。娘は窓から売っているが、なぜか車掌に止められる。中国人は表でしゃべり、日本人と白人は写真を撮り、モンゴル人は物を売り、ロシア人は物に群がる。やはり地方には物が無いんだろうか。

13:30

新人2人が現れる。商品を持ったモンゴル人2人。2人は別々のコンパートメントに入れられる。4つのコンパートメントが開いているにも関わらずだ。白人は怒る。なぜ開いているコンパートメントに2人一緒に入れてやらないのか?英語のわかる中国人を介して問答するも埒あかず。隣の車掌も呼んで続く問答。一番強いのは白人女性。通路を行き来してからのロックされた扉をたたいて回る。「It's empty!」

結局隣の車両の車掌が折れて、2人を引き取っていった。2人の商売人は同室のモンゴル人の友人だそうだ。

15:15

マリインスク。売っている姿のアップをとろうと望遠レンズをつけてスタンバイ。撮影しようとすると変なおじさん2人が何かを言ってくる。出てこいというようなジェスチャー。フィルムは残り2枚。ここでとられるとここまでに撮った34枚は失われることになる。表に出ようとすると2人はどこかえ行ってしまった。大事を取って撮影は諦める。

表に出ると日本人が。学生だというと思いっきり驚く。外国人には年相応じゃないかと言われるので、久しぶりにショックを受ける。残り3719km。あさってはモスクワだ。

17:43

タイガ。下車し食料を買おうともくろむが、パン屋さんには人がいなかった。あきらめて肉の串焼きを買った。8000ルーブル。毛羽部のような味がしたので、たぶん羊肉だろう。醤油のような味付けで結構おいしい。日本人に会う。レストランで食事はどうかとのこと。お金はあっても食料がない状態なので喜んでOKする。隣の車両から乗ろうとしたら止められた。乗客じゃないと思われたらしい。5号車を指すとのせてくれた。

22:00

日本人と一緒に食堂車に行く。サラダ・スープ・メイン・パン・コーヒーで54000ルーブル。高い。のは当然。頼み過ぎだ。スープとコーヒーだけで十分だった。小さくなった胃には入りきらない。残してしまった。ボルシチ超美味かった。一緒に行った日本人はドルで払う。1ドル5000ルーブル相当。おじさんに頼んだ方が安かった。食堂車のおばちゃんは英語が通じる分レートが悪いのか?他の人たちはメインとビール程度しか頼まない。明日の朝飯は抜きでいい。外はまだ明るい。

24/Aug '97

00:50

深夜だというのに商売大繁盛。ここはバラビンスク。別に特徴の無い駅で、キオスクさえも閉まっている。この調子だとドストエフスキーが捕まっていたというオムスクは朝の4時過ぎか。皆が起きない限り起きられそうにないが、さすがに客はいないだろう。

12:50

駅に到着。今度こそ商売姿を撮ってやろうとカメラを持って降りる。また例のごとく大量のロシア人が群がっている。うーん、いまいちうまい構図にならない。と、気づくと軍人が。しまった!チェックしてなかった…。巻いてしまおうとも思うが、フィルムごと持っていかれるとまずい。ここまで34枚とっている。こんなことなら食堂車で残りの2枚を使っておくべきだった。前の1、2枚は露光してしまうだろう。前巻でないカメラだったらと思うとゾッとしない。と共に、ロシアの政治の甘さを認識する。現在は基本的にどこで写真をとってもいいことになっているのに。クレムリン通達はこの街へは届いてこないのだろうか。せめて少しでもロシア語ができれば。チェメニ

16:00

スヴェルドロフスクを出ると、もうすぐアジアとヨーロッパを隔てるヨーロッパ/アジア オベリスクのたっている1777km地点だ。他の白人たちとともに窓に張り付く。のぼりは数字が1つ多いのでそれは1778kmにやってきた。一斉に皆のEOSがシャッターを切る。白人大笑い。あまりにあっけなくてがっかりしたそうだ。右に同じ。だが重要なポイントには違いない。撮影できてとりあえずは安心する。ブレてる可能性は高いが。もうここはヨーロッパか。

25/Aug '97

あと数百キロでモスクワに着く。駅で菓子パンを二つ買う。1700ルーブル。だいたい40円。やはり安い。が久しぶりに油っこいものを食べたらかゆくなった。そろそろ下車の準備か。

13:30

車掌がシーツを集めにくる。あと少しでシャワーが浴びられる。こんなに長い間風呂のたぐいを使わなかったのははじめて。しかし、お湯は出るのだろうか?高いホテルでこんな心配をするとは…ロシアだ。

20:15

ホテルはボロかった。自由主義経済に移行するのは当然だ。こんなホテルで1泊9000円もするとは。西側だったらすぐにつぶれるだろう。テレビはチャンネルを押しっぱなしにしておかないと駄目。レターセットなどはない。タオルには錆が着いている。パスポートはホテル側にあるので外出も両替もできない。シャンプーとリンスを北京のホテルに忘れた…。当然ホテルにもそんなものはついていない。北京のホテルには備え付けがあったのに。5日ぶりのシャワーがこんなことになるとは。ガイドブックにバーガークイーンと書いてあるのを発見したのが唯一の喜びだ。バーガーキング・ハングリージャックに続くか?

フロントで一緒に列車に乗っていたイギリス人を見つけた。彼らはトランスファーを利用したようだったが地下鉄を乗り継いできたオレとあまり時間差はなかったようだ。良かった。明日からに期待しよう。

20:50

日が落ちた。が、まだ明るい。遮光カーテンはない。ひもじい。

26/Aug '97

09:38

腹は膨れた。が、いままで食べたホテルの朝食の中で一番まずかった。入ったときに Window Side と言われたのはなんだろうと思っていたら、奥にビュッフェスタイルがあった。明日からに期待を持つ。

12:10

アルバート通りにドトール発見。つい入る。ホテルのコーヒーよりはましだろう。ラテ 7000ルーブルなり。140円てところだ。日本よりは安いけど…。店内まばら。地球の歩き方を呼んでいる日本人に出会う。やっぱり落ち着くもんね。

1ドル5770ルーブルで両替。全て係の女性がやってくれる。笑顔だ。

14:00

バーガークイーン。我が愛しのバーガーキングは遠かった。店内ハエだらけ。Wanstedのチキン屋の法がマシだった(ロンドン郊外の街のローカルチキン屋)。20000ルーブル。

28/Aug '97

14:15

レニングラード駅に荷物を預けるのに30分費やす。荷物置き場がいっぱいで、誰かが引き取りにくるまで列が先に進まない。ちなみにレニングラード方面への駅なのでレニングラード駅。わかりやすい。英語は当然のように通じない。係の人はタバコを吸いながらテレビを見ている。が、結構対応は良かった。身振りで会話をし、5400ルーブルなり。

またまたドトール。ミラノサンドCを頼む。若い可愛い子が必死に作っている。不器用だ。他の2人はおばさんだが、この娘はいい感じ。笑顔で「どーぞ」と言う。従業員はちゃんと働いている。西側資本と言うのはすごい物だ。日本と違い、あまり長居する人はいない。記録を作るか…。日本人受けを良くするためなのか、あまり彫りの深くない顔の娘だ。単に日本人が面接しただけかもしれないけれど。

moscow

まず、最初に感じたのは日本ににてるということ。白人ばかりで、英語を理解しない。サービスに関しては日本の逆だろう。北京の方が、商売人の国なのだから当然だが、サービスは余程良いくらい。人々は恐ろしいケーキを食べ、恐ろしい数のアイスを食べる。若い頃はスタイル抜群なのに、年を取るとデブ、しかも百貫デブになり、そして重力に負けるのはこれが原因だろう。今のところロシア人がブラックでコーヒーを飲んでいるのを見ていない。

古い年式の車が大量に走っているので、空気が悪い。東京やロンドンなどは空気清浄機つきのような物だ。1時間も歩くと気分が悪くなる。涼しいと思っていたら、とにかく暑い。クーラーがないのか店内でも汗が出る。西側のような寒暖逆転はない。人の密集する場所は臭い。肉食人種というだけではなさそうだ。ロンドンのノーザンラインは臭いと評判だったが比較にならず。気分の悪くなることも。

29/Aug '97

1 MK(フィンランド マイカ)=22.18 JPY

17:00

同室の人間はスパニッシュだった。素早い英語を話す。ずっと陸路で来たようだ。バイキングラインの値段を聞く。たった25ドル程度のようだ。彼は列車パスを持っているのでさらに半額だったらしいが。カウッパトリまで食料を買いにいく。ロシアと比べると物は高い。が、ホテル代が4分の1なのだから問題はない。パン(果物入り)4個 10mk。トマト4個 6.9mkなり。買い物から帰ってみると彼はシャワーを終えていなかった。長いね。水が飲めるようになったので水分にかかるお金が節約できる。

30/Aug '97

13:30

フィルムとタバコをとりに戻るとユイスがいない。2daysと言っていたので明日発つのかと思っていたら、1nightであった。またあえると思っていたのに彼はもう列車に乗ってlaplandに向かっているのだろう。昼前にキッチンで出会ったときにbyeと言っていた意味が分かった。

今夜はオペラを見に行く。本当は芸術祭の演劇を観たかったのだが、Sold outであった。高い席で100mkならね。仕方なくオペラにした。チケットは50〜300mkなのだが、50は見えないという。80なら少し見えると言うので、それにしようとしたらSold out。一番安くて180mk。これなら見えるだろう。チケットセンターでアンケートをとられる。この国の人は気持ちいい英語を話す。スピードは速いが発音と文法がいい。ユイスもこのくらいだともっと話ができたのに…。

31/Aug '97

19:43

ヘルシンキに来るなら夏の間、それも8月の終わりがいい。今夜は大聖堂でオルガンを聴く。夏の間は毎週日曜日にオルガンのコンサートが催されている。今夜は今年最後のコンサート。シベリウスアカデミーで勉強したOlli Porthanという人が弾くらしい。。思ったより人が少ない。街にもあまり人がいないのは寒くなってきたからだろうか。

新しく同室になったのはドイツ人の学生クリス。彼はドイツからコペンハーゲン・オスロ・ベルゲン・ラップランドを回ってきて明日ストックホルムに発つという。やはりユースは面白い。いろいろな人間がやってきてまた、また去っていく。一期一会。皆、英語を達者に使うのが不思議だ。聞き慣れないアクセントなので戸惑うが、かなり良く話す。練習になるが間がつらい。

明日は Studio 1 2 3 に映画を見に行く。

22:35

クリスは明日朝早く起きる必要があるそうで、もう眠ってしまった。オルガンコンサートは1時間20分くらいだった。人はまばらだったけど、数曲良い感じの曲があった。外に出てみると少し寒かったが、計画通り三脚片手に写真を撮りに出る。日が暮れた直後というより、日の出る直前のような明かりだった。

今日は美術館を2つまわった。ガッレン・カレラ美術館はトラムの終点から25分歩いたけど何枚か気に入った物があった。図録は高くて買えなかった。150mkくらいだったかな?

ヘルシンキシティーミュージアムで一番気に入ったのは催し物のポスター。買ってしまった。10mkなり。街に戻りHelBurgarだったか、ハンバーガー屋に行く。セットで29.8mk。言うほど高くはない。フィレバーガーがあり28mkくらい。これは高いが食べてみたい。夕食はインスタントのおかゆとみそ汁。今日は朝も抜いたような物だから80mkで済んだ。

1/Sep '97

15:45

洗濯をしようと思ってレセプションに行ったらクリスと出会った。シリアラインでストックホルムに発つところだ。彼はユーロパスを持っているので100mk。今日オレが買ったバイキングラインのチケットは85mk。しかし、彼の方が安い。なぜなら彼はキャビン付きでオレのは無し。風邪を引くかもしれない。

今日は美術館等が休みなのでZooに行った。片道15分のクルーズだ。ちょっと風が冷たい。Zooにはあのアムールタイガーもいた。が、野毛山動物園のものより小さい。

新しい同室はおじさん。まだ話をしていない。

19:00

スタンバイが買えた。アレクサンダー劇場で観劇だ。直前になり扉が開く。こじんまりしたいい劇場。1列に20〜25席ある席は切れ目がないのでそこら中で人が立ち上がっている。中の席の人を通すためだ。皆気軽に立ち上がる。今のところ観客の質は良さそう。隣の子の香水の香りがいい。

19:50

1幕目が終わった。言葉がわからなくても面白い。間が鋭い。声も動きも文句無し。日本語と言う言語の平坦さを再認識。

2/Sep '97

12:35

同室のオッサンと昨夜少し話をした。カリフォルニアから来たらしい。とうとうネイティブ英語の人と出会った。ちょうどヘルシンキで100カ国目だという強者だ。年に数日しか休まず働いたので、後は弟に譲って引退したという。いろいろな国の話を聞く。ヘルシンキは歴史のある建物が少ないので退屈だと言っていた。今日も9時半になっても寝ていた。

Ateneum美術館。ガッレン・カレラの作品以外は気になる物無し。マティス、シャガール、ゴーギャン、ゴッホなどの作品もあったけど。ガッレン・カレラの図録とカプチーノで金がなくなる。残りのドルを使い切るか。

13:50

National Museumは休みであった。ショック。仕方なくマックで昼を食べる。McFeastAteria 34.9mk。オッサンの話だとノルウェーではハンバーガー1つ5ドルとのことだったので安いと思うことにした。さすがにモスクワのマックほど混んでいない。というかすいてる。

3/Sep '97

12:00

Cafe Engelという喫茶店。カフェオレを頼む。17mk。相場よりは高いがえらくカップが大きい。味も少し濃くてよい。いつも通りにカウンターで注文しようとしたら、座って待てと言われた。シートサービスだそうな。

オッサンは明日タリンに発つそうだ。朝8時でしかも反対側の港だと嘆いていた。オレも明日の夕方にはストックホルムに向けて発つ。オッサンに教えてもらったように5番デッキに行って夜通し座ってるとするか。

18:30

少し早い夕食をマックで食べる。明日のランチはCafe Engelで食べられそうだ。映画は予想通りの展開だったが面白かった。幸せな気分で映画館を出る。観客は3人。18時前の回なので30mkですんだ。ヘルシンキの映画館は入口と出口が別になっている。誰かが出るのを待てば、無料で入れるような気もする。ストックホルムは140年ぶりの暑い夏だったらしい。今はもう涼しくなっているだろうか。寒すぎるのも困るけど。

Helsinki

基本的に好きな街。物価は日本とかわらないけど、文化的なことに関しての物価は安い。日本が高いだけなんだろうけど。人種に関してはロシア(のモスクワ)と同じで観光客以外にはほとんど白人しか見ない。日本人に対しては対応が良いとも聞くが、ここまで観光客が増えるとそうでもないようだ。日本人に対して対応が良いというのはロシア人と対比してということらしいけど、一番多いのはロシア人観光客のようで、キリル文字の表示が多い。英語をよく話すが、特に外国人と話をしようとすることはない。先進国は大抵そうだと思うけれど。

4/Sep '97

14:50

今日は18時にはヘルシンキを発つので、少し奮発してCafe Engelでランチを食べる。ランチ39mk、アールグレイ12mkなり。今のところここの従業員が一番美人。

日本人観光客は教会を訪れても着席してゆっくりする人がいない。ガイドの説明を聞いて写真を撮って終わり。ツアー客は日本人以外も同じような物だけど、少なくとも何人かは着席していく。もったいない。

17:35

Viking Line内部。キャビンのない人用の場所だと思われる所に到着。寒いと思ったら暑いくらい。ベッドの代わりだと思われるマットが10枚くらいあるが、たった一人。隅っこをゲットする。と思ったらシニアが一人。すでに靴を脱いで横になってる。素早い。外国人シニアのたくましさを思い知る。ユースのシェア部屋にも平気で泊まるし、一人で旅するし、キャビン無しで船に乗ったりする。安く旅するから長い休暇でも長い旅ができるんだろうな。キャビン無しは他には男女のカップルを一組見ただけ。海の見えるところを探してどこかに行った。おそらく上か下の階の同じ場所には人がいるんだろうけど、もっとキャビン無しいると思ったのにな。

19:15

8Fからサンセットを眺める。後ろのバーからはポップな演奏が。贅沢だ。今日は雲が多いこともあってサンセットは最高。気温も10℃くらいらしいので、空気も澄んでいる。もちろん海の上なので排ガスもない。Gablielaほとんど揺れない。

5/Sep '97

1 KR=15.472447 JPY

08:40

もう少しでストックホルムに着く。一夜の旅などもう短いように感じてしまう。結局キャビン無しは12名。男7名女5名。最初に出会った二人は深夜に戻ってきたのでマットが無く、床に寝ていた。そういえば今日で23歳だ。

20:20

今年、ストックホルムはヨーロッパの文化首都だとかで1年中文化的なイベントをしているようだ。またフェスティバルにぶつかったわけだ。運がいい。そして同室のスウェーデンのオッサンが言うには、この時期の気候としてはここ100年でベストだろうと言う。7月から4日しか雨に出会ってないらしい。日本ではない国の雨としては降っていた方だと思ったが。そう、日本を出て以来はじめての雨に出会った。正確にはシベリア鉄道で通り雨と雷雨には遭遇しているけど、夜の雨の同じなので数えないことにした。オッサンと同じか?

6/Sep '97

14:35

大聖堂で15時からコンサートがあるようだ。今はリハをやっている。ここはNo flashなのにflashをたくおばさんがたくさんいる。コンパクトカメラじゃ無理も無いけどどっちにしろflashは届かないよ…。

ガラムスタンはいい感じ。夜はロンドンのような雰囲気になる。大聖堂も音楽が無ければおそらく静かで足音が気持ちよく響く作りだろう。

街を歩いていると、いままでよりは有色人種が多くなったような気がする。愛想は悪くなった。フィンランドの人は本当に日本人に対していい印象を持っているのかもしれない。ストックホルムの人はもちろん英語を誰でも話すけど、ちょっと面倒くさそうに使う。仕方なしと言うか…。この街に2週間いるのもあまり楽しそうでないので、他の国に移動するか。トイレはNational Museumのがいい。

7/Sep '97

17:25

昨日まで同室だった人が皆発ってしまった。スウェーデン人のラッシーと日本人のユースケ、そして香港人で今はアウターロンドンに住んでいる若者。昨夜は2時間以上話をしていた。働き蜂の香港、日本人とラッシーの自由な生き方についてや食べ物についてなど。ザリガニは簡単に食べられるらしい。

ラッシーとは住所を交換した。いろいろな国に行くのが好きでナホトカを回って日本に来たいそうだ。来たら普通の日本食と鎌倉を教えよう。

17:40

ウッディアレンの映画を見ようと Victoria という映画館に来た。Screenは5つあるが一番小さいやつのようで客席はおそらく20くらい(16だった)。この国も全席指定のようだ。50kr。クライングゲームのリメイクのような物をやっている。明日見に来よう。70krもするけど。

17:40

Excellent!ウッディアレンの映画は見たかったミュージカルのやつ。ミュージカルのあの不条理な歌を見事に笑いにし、かつただ馬鹿にしているのではなく、面白かった。バーガーキングで夕食。ダブルワッパーwithチーズのセットで59kr。ビックマックセットと20krも違うとなるとこれだけすいているのも無理は無い。ただのワッパーミールなら39kr。それにしても、この地域には観光客が来ないのか人が少ない。明日こそはFuji TravelにTelしておかないと。ニューヨークに行きたいな。映画も世界で一番早いだろうし。明日の同室はどんな人たちだろう。

8/Sep '97

14:00

Fuji Travelの人から帰りのチケットを受け取る。10日後の18日15:00にはストックホルムを発つわけだ。ここからどこか安く行ける場所はないかな?と思って街を歩いていると格安チケットのチラシ。18日にストックホルムに帰ってこられるのは…ニューヨーク!1395kr。オスロまで列車で移動すれば700krはかかるだろう。倍か。ま、いっか。購入。2日後にはニューヨークに飛ぶ。考えてみると、日本から北京、ウランバートル、モスクワ、ヘルシンキ、ストックホルム、そしてニューヨークだと世界一周するようなもんだ。なんだか嬉しくなる。

次はトルコから東南の方向に進みたい。というより、トルコ、チベット、台北あたりにいきたいなぁ。

18:55

沢木耕太郎の影響か長旅だといろいろな人が本をおいていってくれるとパラサイトイブをもらっていた人がいる。彼は早生まれの24歳(早生まれを強調していた)で、住み込みで働いては旅に出るそうだ。今回は半年でヨーロッパを回るとのこと。その彼が部屋の机に本を1冊おいて発った。押し付けがましく手渡さずにおいていくあたり、格好いい。しかし、肝心の本は浜ちゃんの「読め!」。誰にもらったのか知らないけどとても読む気にはならない。仕方なしに島田雅彦の彼岸先生を軽く再読。彼にプレゼントしても良かったな。

9/Sep '97

11:40

地下鉄の駅で格好いい女の子を見た。シャッターを切ろうか迷っているうちに行ってしまった。黒いコートに栗毛だった。そう、この北国は早くも秋、それもかなり寒い空きが駆け足でやってきている。9月10日といえば、日本だったら残暑厳しく汗をかいていること。海水浴シーズンがやっと終わって静けさが戻ってくる頃なのに。しかも雨が降り出した。自転車のツーリストは震えて恨めしそうに雨を眺めているし、表でコーヒーを飲んでいた人々も中に入る。幸いなことに今日はメトロの装飾を見に行こうと思っていたところ。

16:45

明日はニューヨークなので、少し服をきれいにしようと洗濯をする。合間に Crayfish を食べる。キロ298krだというので100gもらう。2匹で92g。ちょうどいい。NKデパートの袋も手に入ったし。味は思っていなかったほどうまい。小さいので味がしっかりしている。ザリガニミソというのかは知らない。絶品。

ガキの群れがちょこまかしだした。夜中もうるさい。彼らのせいで泊まれないバックパッカーもいる。遠足でこういう所を使ってしまうのはどうかと思う。

外に「読め!」をおいていってくれた日本人がいる。訳ありだからもしかしたら戻ってくると言っていたが、うまく発てなかったようだ。

10/Sep '97

10:00

行きたかったチベットをまわってきたという日本人が昨日同室だった。チベットは日本人でいっぱいらしい。ネパールで買ったという噛みタバコをもらった。ついでに「ひつじが丘」という本も。彼の友人が噛みタバコの中毒で頼まれたらしい。今はボーディングゲート18にいる。あと1時間足らずで出発だ。DK155

09:20

再びパスポートをチェックされる。アメリカのVisaがいらないかどうか一応チェックすると言って待たされる。必要ないに決まってるが、ちょっとドキドキする。問題無し。

09:25

おっとー。チケットの名前が違ってる!Nakoto Tsuyukiになってる。今のところ誰も気づいてないけど。アメリカに入れなかったら、いや、帰れなくなったらどうしよう…。

15:25

今乗っているのは Premiair という航空会社の飛行機。サービスは悪い。国際線というのはフリードリンクだと思っていたが、水でさえお金をとる。もちろんそんなものは飲まないが。ツーリストが出発国の通貨を持って飛行機に乗るなんてことは普通無いよな。アジア人らしき人間は皆無なので、地元の人しかいないのかもしれない。アナウンスもスウェーデン語だけのことが多い。

11/Sep '97

ニューヨーク2日目。なぜ突然2日目かというと昨日はショックで疲れていたから。空港のインフォメーションで、ユースはソールドアウトで街では65ドル+Tax10%が一番安いと言われたのだった。空港のそばでも 60ドル+Tax10%。??。聞けばでっかいコンベンションがあって泊まるのが非常にタイトだとのこと。ホテルまで行ってみるとカードが使えない。カードでキャッシングしろと言われたが暗証番号忘れた。とりあえず1番分払う。75ドル。1ドル=130円(信じられないけどアメリカではこのレート)。泣きたくなった。 むかついて14時間寝た。時差ぼけ消滅。今日は朝からインフォメーションを探して、朝ならベッド一つくらいあるだろうとね、雨の中ふらついて、インフォーメーションも不親切でユースの書いてある紙をくれただけ。自分で電話する。1件目であった。なんじゃそりゃ。1泊目40ドルであとは1泊28ドル。場所はいい。部屋は狭いけどテレビもあるし、外も見える。はたして24時間ぶりに物を口にする。それにしてもオレがニューヨークにいること誰も知らない。

インフォーメーションに向かう途中、ホームレスに話しかけられたが宿が無くて金もないと同情誘ってハグしてわかれた。

12/Sep '97

オフオフブロードウェイを観に行く。19:40くらいに始まる。登場とともに踊りだす。仲間と観に行った横浜の小劇場系劇団の横Loveを思い出す。 10分で眠くなる。しかし他の客は笑ってる。単純に笑い文化の違いだろうか。パンツ姿になると大爆笑。1時間ほどで終わる。ビールのサービスがあるようだが帰る。7割くらい残っている。身内だろうか。12ドル。映画の方が良かったかな。でも今日は映画も見たし。The Game 8.5ドル。今日がオープニングだった。初回。結構人がいた。

PS211という劇場はEastVillageにあった。そこは日本人街のようなDownTownでスシバー、サケバー(酒場とあった)、焼き肉屋などがたくさんあった。DownTownにくると中指を立てる奴や汚い言葉を使う人、スモーカーが増える。明日は今いる33stよりUpTownに足を伸ばしてみよう。

13/Sep '97

11:00

ニューヨーク。目の前のビルではエアロビクス、通りにはジョギングの人たちがチョロチョロしてる。 アメリカにはデブが多い。デブとスモーカーは出世できないとされるのは、あまりにもひどいからだろうな。

バックパッカーにはデブがいない。少なくとも今のところであってない。なぜか?単に食べる金がないのか。交通費をケチってあるくからか。そう言えば、ニューヨークに来てから1日1食だ。Chinese Foodを1食食べればなかなか腹が減らないからだ。

13:10

1E70th The Frick Collection に来た。3ドル。特に見るべき物はない。1つブロンズ像のいいのがあった。トランペットを吹く男のようだ。オーバーアクション。ターナー、モネがあった。ターナーに似た絵を描くAELBERT CUYPという人の絵もあるがターナー程のダイナミックさが無い。何となくこじんまりとして小さい男のようだ。

14:35

Central Park. なんだか臭いと思ってたらZooのそばまで来ていた。大きいと思っていたのに案外小さい。2日前に同室のフランス人、ドイツ人とエンパイアステートビルを上ったとき見た夜景でデカイ街だと思ったけれど東京と比べると…。比べまいと思ってもどうしても比べてしまうもんだ。

(MOMAにいった。気になったところのメモがあった。)

お金がタイトなので歩いて帰る。途中スタンドで砂糖付きのパンを購入。1.50ドル。これでカロリーとって水で水分とって夕食を済まそうと思った。塩だった。えらくしょっぱくてまずい。スーパーでもうちょっとマシなものを買えばよかった。反省。

14/Sep '97

14:10

マディソンスクウェアガーデンで読書。この国では街にでっかいタバコの広告が無い。でもイエローキャブが広告を載せて走っている。言われている程喫煙者が少ないとも思わない。タバコを国から締め出してアジアに売ろうとしているようだが、まさかアジアから持って来たタバコを、呉れ言う人みなにあげてしまう人間がいるとは思うまい。

15/Sep '97

13:05

同室のフランス人がDaft Punkをいいと言っていた。彼とは2時間くらい話した。今、China Townにいる。横浜のChina Townと比べるとやっぱり小さめだ。臭いし。しかもなぜかItalianも一緒にある。Little ItalyとChina Townはくっついているらしい。これからブルックリンブリッジと自由の女神を見に行く。もちろん徒歩で。できれば彼岸先生の住処も見たいがあれはWestだったなぁ。

14:10

ブルックリンブリッジはたいしたこと無かった(ハーバーブリッジとかわらない印象)けど、ワールドトレードセンタービルはすごい。以上に高いビルがある。新宿と比べると数が少ない印象だけど。華氏80度って何度だっけ?暑い。

18/Sep '97

12:36

Flight late six hours. がーん。昨日NewarkからArlandaに来るときも3時間待たされたのに、また6時間。 Premiair の場合、飛行機まで Towerair というのに変わってたけど。

おとといの夜、フランス人とロビンフッドを観ていたとき、臨時ニュースが入った。ニュースが終わったとたん。F「He told about」オレ「Air Plane」F「Clash」「…」。二人とも次の日にフライトを控えていたので。

データイムグリーン券が使える時間帯に成田に着きたいのに。

17:00

100kr分食事ができるらしいので、ボーディングチケットで無料飯を喰らう。おそらく今回の旅で一番高いだろう。とは言っても1500円位。スカンジナビア航空にはあまり多くの日本人は乗っていないような気がする。無料飯を喰らっている日本人は多分10人くらい。

下で見かけた可愛い娘がいる。彼女も日本に行くのかな?ニューヨークからストックホルムに来ると、やっぱりスウェーデン人は美人だという気もしてくる。ヘルシンキから来たときにはそうでもなかったんだけど。彼岸先生がストックホルムに来たらどうなっちゃうんだろう。後ろでピンボールが叫んでる。

ストックホルム

メトロポリタン。東から同じいろの人間ばかりが街にいる国を移動してきた。突然複数の色の人種が平然と暮らしている。ヘルシンキで出会ったL.A.から来たアメリカ人の言っていたことを裏打ちする人物ラッシーにも会った。彼が言うには、一番大切なのは話し合うことで、だからどんな国のどんな人種もウェルカムなのだそうだ。ニューヨークの空港で出会った老夫婦にもはじめスウェーデン語で話しかけられた。スウェーデン人と間違えたと言っていた。人々が英語を話すとき面倒くさそうな顔をすると思ったのは、彼らが頭を切り替えているときの顔なのかもしれない。ヘルシンキでは黄色人種は当然外国人なわけだから。

ニューヨーク

東京に似てる。旅行者にとって好ましくないという点で。両替をしていない銀行が駅のすぐそばにある。宿が高い。外税しかも8.25%。計算できない。人種でセパレートされている。東京を知っている人間にはあまり見るところが無い。自販機が無い、コンビニが無い、土日の営業時間が短い、という点では東京より不便だ。ただし、美術館はいやになるほど素晴らしい。歴史の短い国なのに、どんなことをして集めたんだか。

旅程 (1997/08/19 to 1997/09/19)

19日 10:00発 成田 → NH905 (ANA) 19日 → 12:30着 北京 金皇帝都大酒店(9000円) 20日 07:40発 北京 → 列車No.3 20日 → 二連 23:30 通過 → 21日 → ウランバートル 14:30 通過 → 22日 → ナウシキ 00:23 通過 → 25日 → 17:30着 モスクワ 28日 22:00発 モスクワ → 29日 → ヴァイニッカラ 06:00 通過 → 29日 → ヘルシンキ Eurohostel(98mk = 2200円) 04日 18:30発 VinkingLine(85mk = 2000円) → 05日 → 09:00着 ストックホルム af.chapman(110rk = 1800円) 10日 10:00発 ストックホルム(Arlanda) → DK155(Premiair 22000円) 10日 → 12:30着 ニューヨーク(Newark) Murry Hill Inn($75 = 10000円) 11日 ISC($28 = 3500円) 17日 15:00+3h発 ニューヨーク → DK156(Towerair) 18日 → 4:50+3h着 ストックホルム(Arlanda) 18日 14:00+7h発 ストックホルム → SK985(SAS) 19日 → 成田

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